読んだら死んじゃう漫画

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「読んだら死んじゃう?」
 友達のコバヤシ君はたまにコバヤンと呼ばれているが、そのコバヤシ君が今日校則を違反してまで学校に持ってきたそれは、世にも恐ろしい読むと死んじゃう漫画だったのだ!
 ……ばかばかしい。
「あ、信じてないだろ」
 コバヤシ君は恐ろしさと、ボクが信じないいらだたしさにゆがんだ、喜怒哀楽のどれともつかない微妙な顔をする。
「恐くって、学校まで持ってきてしまったが、俺はまだ読んでない。無論、読んでいたら俺はもうここにはいないだろうが。」
 その読むと死んでしまうという漫画をコバヤシ君はボクの机にバンバン叩きながら恐怖を訴えた。ボクはそれを止め漫画を奪い取り、表紙を見つめた。「    」というタイトルらしい。ちなみに空白なのではなく、無題なのではなく、なんと読むかも、どう表記すればいいかも、わからないのだ。
「でも普通読むと死んじゃうなんて信じられないだろ。なんでお前信じたんだよ。」
「そ、それは。」
 コバヤシ君は俯いてだまってしまった。
 本来コバヤシ君はこんなオカルトじみた話には無縁の、むしろそういった類のものを馬鹿にしていた節があった。ボクは超能力だとか、こういった読むと死んじゃうという話は信じることはないが宇宙人だけはいると信じていたため、コバヤシ君に馬鹿にされた時は心底腹立たしく思って、思わず給食の牛乳パックを彼の机の奥底に隠してしまったことがあった。季節は夏--。発酵した牛乳は、まぁ以下略。
 そんなこんなでコバヤシ君はとてもこの漫画を恐がっているようだった。
「おいタサキ君!」
 ボクはクラスのいじめられっこタサキ君を呼び出し、読むと死んじゃう漫画を放り投げた。
「読んでいいぜ」
「ばっ、ばか!」
 コバヤシ君は止めようとしたがもう遅い。普段他のクラスメイトから漫画を借りるなんて機会に恵まれないタサキ君は嬉々とした笑顔を浮かべて、あっという間に漫画を拾い上げると、「ありがとう」とぼそりとつげ、疾風のごとく教室を飛び出して行った。
「ボク、いいことしたな」
 自分の友達思いな行動にわれながら惚れ惚れとしてしまう。
 だが一方でコバヤシ君はさらに暗い顔。どうしようどうしようと、きっとこういうのをヤンデレって言うんだなと勝手に解釈した。
 きーん、こーん……
 授業開始の鐘の音。
 その日、タサキ君は教室に戻ってくることは無かった。

     ◇

「悲しいお知らせがある」
 翌日学校の朝のホームルーム、担任教師は重々しい空気を醸し出しながら、タサキ君の死を告げた。享年14歳。あまりに短すぎる最期だった。
 突然のタサキ君の死の知らせにクラス全体は静まり返ってしまった。いままでいじめていたのに。死んでしまえとなんども言ったのに。
 一番くらい顔をしていたのは、コバヤシ君だった。冷や汗をかいていた。ぶるぶると、親とはぐれた子犬のように震えていた。
「コバヤシ」
 担任教師が突然コバヤシ君を呼んだ。コバヤシ君はびくりと肩を震わせ、はいと思い切りよく立ち上がったためにイスを後ろに吹き飛ばしてしまった。
「これ、タサキがオマエにって、親御さんに託したそうだ」
 先生がコバヤシ君に差し出したそれは、紛れもなく読むと死んじゃう漫画に違いは無かった。
「最期に言っていたそうだ。面白かったって。これ以上に面白い漫画は読んだことがないって。いじめられていたけれど、生きててよかった。そういっていたそうだ」
 先生は感極まって涙を流した。大のオトナが声を出してなくのを見るのは、初めてだった。コバヤシ君は先生の差し出すそれを受け取ろうと、よろよろと危なっかしい足取りで先生の方向へ進んでいく。一歩、また一歩、どすん。
 コバヤシ君は倒れた。そのまま近くの町の病院に運ばれた。

     ◇

 通夜。
 タサキ君の通夜には、学級委員であるボクとカナの二人だけがいくことになった。本来こういう場にはクラス皆でとか、学年全体でとかのほうが適切なのだろうが、やはりいじめていたことが絡んでいた。
 ボクとカナの母親同士の仲がいいため、昔から遊び親しんだ、いわゆる幼馴染というヤツだった。みんなでタサキ君をいじめていた中、タサキ君を擁護した数少ないクラスメイトだったと思う。逆に彼女がいじめられてしまうことを恐れ、彼女の周りを囲む友人も止めたりした。しかしながら彼女の容姿はきっとミスなんちゃらくらい軽く取れてしまうよう確信できてしまうほどの出来栄えで、さらにそうした行動も腹黒さとかそういう汚い気持ちから来ているものではなかったから、そうする気はなくとも彼女はさらに自分のポイントを上げることになった。
 ぶっちゃけ。ボクは彼女のことが好きなのかもしれない。
 二人きりで学校を抜け出すなんていうのは、それはもう絶好のチャンスであるし、ハーレム系ライトノベルとかでよくある、主人公の草食っぷりが全開になるような場面であるが、抜け出す目的が通夜とあっては心も体もげんなりである。
 タサキ君の両親は泣いていた。顔はもう真っ青だった。ひどく小さく見えた。
 そんな事象が、ボクをふと現実に戻させた。
 ボクは、タサキ君を殺したのか?
 信じていなかったとはいえ、コバヤシ君はちゃんと漫画のことを話していたし、それを信じてタサキ君に投げさえしなければ、タサキ君は死ななかった。そうだったらタサキ君は死ぬことは無かったし、今日も学校で元気にいじめられていたはず……。
 今まで考えていなかったこと、いや考えようとしていなかったことが、頭の中をぐるぐる回り始めた。
 気づくとボクは通夜会場の部屋のど真ん中で突っ立っていた。カナが心配そうにボクの袖を引っ張った。不意に、ボクは泣いてしまう。うえっうえっと自分でも奇妙と思ってしまうほどの気持ち悪い声を出しながら。
 カナは驚いた顔をみせると、ボクを引きずって会場を後にした。

「大丈夫?」
 帰り道。ボクと彼女が二人で帰路を辿りながら、彼女が優しく問いかけてきた。
「あぁ」
「一体どうしたってのよ」
「うん」
 ボクは一連のことを話した。読むと死んじゃう漫画をコバヤシ君が持ってきたこと。それをタサキ君に投げつけたこと。それを読んだタサキ君が、死んでしまったこと。ところどころで彼女は相槌を打った。ボクの時系列ばらばら事件的な説明も、丁寧に聞いてくれているようだった。
「悪くないよ。殺してなんかないよ。大体、その漫画が原因ってわけじゃ」
「ボクもそう何度も思い込もうとしたんだけれど。結局、これは全部逃避なんじゃないかって。ボクが罪から逃れようとしているんじゃないかって。少なからず、ボクも彼をいじめていたわけで」
 その後、会話は続かなかった。
 
 しばらく歩いていると、ボクの家の前についてしまった。依然気まずい雰囲気。
「それじゃ」
 カナが右手を小さく振りながら別れを告げる。
「あ、あの」
 何を思ったか、ボクは彼女を呼び止めていた。彼女がこちらを振り返る。
「ちょっと、寄ってく?」
 何を思ったか、ボクは彼女を家に誘っていた。彼女がこちらに踵を返す。表情はなんとも、微妙な顔だった。
 彼女が我が家に入るというのは、何年ぶりのことだろうか。思い出そうとしても、まだその頃は「女」とか「男」とか、そういう人間をわける基準みたいなものを理解していなかったし、彼女が特別可愛いと思うわけでもなかったし知る由も無かったし、将来のためにつばをつけておこうなんて今のボクに気の利いたことをしてやろうとかも理解していなかったし。そんなこともあってか、ことの答えは大分前、ということで形がついたようだった。
 自分の部屋に入り、彼女をベッドに座らせた。やはり入れるべきではなかった。どうすればいいのかわからない。
「タサキ君、幸せだったんじゃないかな」
「え?」
 彼女の予想外な発言に耳を疑った。
「死ぬ間際に、生きててよかったなんていえるなんて、その漫画のおかげだよ。毎日毎日いじめられて、そんな生活で生きててよかったなんて。きっと、いいことしたんだよ」
「でも死んじゃったよ」
 タサキ君は死んだ。もう帰ってこない。
 今まで散々いじめていた。何度も何度も死んでしまえといった。だけれど、彼が本当に死んでしまった今となっては、その回数とかそういう問題じゃなくて、ただただいじめていたという現実が錘になってボクにのしかかってくる。
 いてもたってもいられなくなって、ボクはカナをベッドに押し倒した。
 カナが小さな悲鳴を上げた。ベッドの上に男女が二人。この状況は、なんだというのか。
 カナは最初、大きな目を思いきり硬く閉じていた。顔がぷるぷる震えてしまうほどに強く。それでも抵抗しなかった。
「いいよ」
 彼女がつぶやく。
 ボクは何をすればいいのかわからなかった。何しろ経験が無かったからだ。知識ならある。だが、アダルティーなビデオに、リアルがないのも知っていた。
 ボクの右手は、彼女の髪を触っていた。感動した。これがかの、アジアンビューティである。触った瞬間に散らばるようなその奇妙で、愛おしいその感覚は、一体なんなのだろうか。改めて思う。彼女は、「女」なのだ。ボクとはちがうのだ。
 ボクは、彼女とキスがしたいと思った。今の状況ならなんでも出来ると思った。というかしなくちゃボクは草食系男子というより、ただのチキンなような気がした。
 それでもしようという決心には至らなかった。この状況は、タサキ君が作り出したもの。タサキ君を殺しておいて、ボクだけが彼女と。
 ボクはこのことも知っている。タサキ君も、カナが好きだった。
 ベッドに横になる彼女の脇で、ボクは一人立ち上がっていた。
「ごめん」
 ボクはカナに謝っていた。
「ドーテイ」
 彼女がボクを責めた。
「物事にはやっぱり順序ってのがあるよ。私は待ってるよ。決心がつくのを」
 彼女は帰っていった。送ろうかと提案したけれど、近くだからと断られた。

     ◇

 時計はもう、深夜をさしていた。
 何も食べていなかった。食欲が湧かなかった。それでも腹は一丁前にぐぅぐぅなり続けた。ボクは携帯を取り出し、コバヤシ君に電話をかけた。
「元気?」
「一応」
「いまから会えるかな」
「なんとか」
「あの漫画、持ってきてくれ。公園に」
 やはり、まずかっただろうか。少ない言葉をかろうじて搾り出していたような彼の声も、とうとうこの質問の後にはなかなか続かなかった。
「おい」
 催促してみる。
「どうする気だよ。あの漫画を」
「いいから、持って来い」
 ボクは一方的に電話を切った。彼が持ってきてくれることを信じて。
 家族の寝静まる中、物音を立てないようにこっそり窓から外に出た。そして月の明かりが、ほんのりとあたりを灯す中一人、公園に向かって歩き出した。

 十分ほどした頃、コバヤシ君は自転車にのって登場した。
「持ってきた?」
 ボクの問いかけに彼は答えなかった。代わりに、自転車のかごに手を突っ込んで、何かを取り上げると、ボクのほうに堂々と差し出した。紛れもなくあの漫画。読むと死んじゃう漫画だった。
「どうする気だよ」
「漫画は読むためにある」
「やめろって。オマエまで死んだら、俺はどうすりゃいいんだ」
 彼は漫画を見せておいて、ボクが読むといったら固く胸に漫画を抱きしめた。読ませてくれる気はないらしい。
「安心しろよ。死ぬつもりはないから」
「じゃあ、なにするっていうんだ」
「ボクはこれを途中まで読むよ。最後まで読まなくちゃ、漫画を読んだことにはならないだろう」
 コバヤシ君は、驚きあきれたような顔をした。その隙に、ボクは漫画を彼から奪い取った。あっ、と彼が悲鳴を上げる。ボクは一ページ目を開いた。
 最初の数ページは、病院だった。オトナが、子供を生んで。子供は、少しずつ育って。これは、一人の少年の生涯が描かれている伝記のようだった。タイトルは読めなかったくせに、内容はちゃんと日本語で書かれていた。
 ボクはふと、もう一度表紙を返してみた。目を疑った。読めなかったタイトルは、「タサキ君の一生涯~あまりに短く残酷な日常~」に変っていた。
 ボクは再び、漫画に目を移した。あまりに悲痛な、見るに耐えられない漫画だった。彼のいじめについて全面的に描き出されていた。いじめっ子達のたくらみだとか、タサキ君の目の届かないところまで、確かに書き出されていた。そして、それは現実に起きたタサキ君いじめと、とことん忠実だった。漫画には、ボクも登場した。
 しかし、彼はボクを一切責めなかった。いじめていたのに。楽しんでいたのに。彼はボクに脅迫するでもなく、ボクが友達であると言い張った。
「おい」
 コバヤシ君に、ページを送る手を止められた。気づくと残るページは、もうわずかしかなかった。
「その辺に……」
「ボクは、どうして生きているのか」
 再び読み始めた。その行為は、彼への報いだと思ったし、罪滅ぼしであるとも思った。所詮、自己満足に過ぎなかったが。
 やめろと力づくで止めにくるコバヤシ君を、ボクは右手で殴って静止させた。漫画を読み続けた。最後のページ。
 タサキ君は、ありがとうと言った。
「死にたかったのに」
 ボクは自然と言葉を発していた。
「どうして殺してくれないんだ。タサキ君」
 ボクは必死に嗚咽した。漫画にぼとぼとと大量の泪が降り注いだ。

     ◇

 学校へ行くと、彼の机の上には、大量の花が入った大きな花瓶が乗っかっていた。ボクはその花を引っこ抜くと、ゴミ箱に捨てた。
 ボクは、生きなくてはいけない。

 

 

終わり  (作成日2009年4月28日)

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