世界の終わりの日 topに戻る
「明日世界は終わりです。今日は世界最後の一日です」
テレビからそんな無機質な声が聞こえてくる。
何を馬鹿なことを、と振り返ってみると、テレビ画面の右上には赤色で「録画」の文字。中央には人気の女性キャスター通称もこにゃんがいるはずのところに、顔がかたくこわばった、いかにもインテリ理系な眼鏡っこが座ってそんなことを話していた。彼女の紹介文には「ミス世界物理学研究所」なんていう肩書きがテロップされている。
世界の終わり……?
聞き慣れているようでどこか現実離れしたそんな言葉が、僕の頭の中をいったり来たりした。
カレンダーをみてみるとどう見ても四月一日ではなかったし、そもそもそんな日だとしても日本のテレビ局がそんな気の利いた冗談を言うほど頭がやらかくないことは明確だ。
いつもの朝。母親の手抜きの朝食が並べられたテーブルに座る妹のサキは、最近はやりの人気俳優がグラビアに載った雑誌を見ながら朝食を食べている。
「これって、本当なのか?」
「どう見たって、本当のことでしょう」
サキが顔も向けずに冷たく言い放った。
「もう少し驚いたらどうなんだ。テレビを見てみろ」
サキはページをはらりと一枚めくると、ぎろと僕を睨んだ。
「私はねぇ、あんたの起きるずっと前に起きて、もうびっくりし終わったの!」
ツンとそういい切ると再び雑誌に目を戻し、フォークでソーセージをぐさと刺すとそのまま口に運んだ。僕は朝食の存在を思い出し、とりあえず腹を満たすことにした。
父親はもうすでに食べ終え、テーブルで新聞を眺めている。こちらからは一面とテレビ番組表が見えたが、一面トップはやはり「世界の終わり」の記事。番組表のほうもそのことについてばかりかな、と思ったが、高視聴率番組総再放送と題して事細かに番組が組まれていた。
ふとそんな父親がこれからどうするのかが気になって、とりあえず聞いてみることにした。
「父さん。最後の日だけど、どうするの?」
「あぁ」
しばしの沈黙。父親はいつだってすぐには応答しない。
「とりあえず仕事だな。必要としてる客がいないとも限らんし。そんで、上司を一発や二発殴ってくる」
「そりゃいいや」
父親はいつも仕事から帰ってくるなり上司の文句を必ずといっていいほど家族の僕たちにぶちまけていた。相当に上司達に腹を立てているのだろう。世界の終わりの日はそんな鬱憤を晴らすのに丁度よいようだ。
「母さんは?」
「そうねぇ」
母親は服をたたむ手を休めると、可愛げに右手をぐーにしてあごを支えると顔を傾けうーんとうねった。
「とりあえず、友達とお話でもしてこようかしら。パートは休んじゃう」
「そうかい」
どうにもこのぶりっ子っ気が抜けないのがどうにも気に入らない。というのも、昔からそんな母親のそぶりのお陰で僕は友達とかから散々なほどに冷やかしを受けていた。反抗期とかそういうわけではないのだ。
こんな父親と母親がどうして結ばれたのか。これはばあさんやじいさんをも悩ませる永久に解決不可能な問題なのだ。ちなみに母親曰く「恋なんてわけわからんものよ」だそうだ。
僕はふぅとため息をつき、気を取り直して朝食を食べることにした。今日は世界の終わり。何をしようか、と考えてみてもそんなとっさには何も考え付かなかった。会い向かいに座るサキは相変わらず雑誌を読みながら朝食を食べている。
「いい加減やめないか。行儀が悪いぞ」
サキは再びこちらをぎろと睨むと、静かに言った。
「これで最後にするわ」
そう、これが最後なのだ。
父親は車を走らせ、会社へと向かった。母親は自転車で友人らと会合するのが楽しみなのだろう、鼻歌交じりで外へ出て行った。これは、日常と大して変わらなかった。
僕もじゃぁ学校に行ってみようかと思ったけれど、何も最後の日だというのに、学生達の戒めの場所にわざわざ出向く必要も無いだろうからすぐに却下の意見が採用された。ちなみに宿題も終わっていない。
何をするでもなくテーブルに座り続ける僕と、雑誌を読みふけるサキ。
「サキはどこかへ行かないのかい」
つんつんする彼女と話すのも、結構好きだった。まぁ話せば話すだけ嫌われているようだけれど。
「私も友達に会ってくるわ。さよなら」
テーブルのイスを乱暴に奥へとやると、そのまま玄関に向かっていった。
ついに一人になってしまった。
テレビは依然として「明日世界は終わりです」の文章を延々とループして流している。ちなみに再放送が始まるのは朝九時からであるから、あと十分たらずといったところか。
僕はデスクトップパソコンを起動させて、インターネットを開いてみることにする。おなじみのyahooのページに行くと、「今日で世界はおわりです。後悔の無い一日を!」の文字が光っている。僕は検索バーに「世界 終わり」ととりあえず打ち込んで検索してみると、上位に表示されたのはかの「国際物理学研究所 世界の終わりについての説明」なるページである。
かちと左クリックをして開いてみると、長々と文章が書かれていた。ちなみに最初の方は以下のとおりである。
『世界の終わりのお知らせ
長くに渡り、世界各地の物理学者が世界の終わりから我ら人間を救おうと努力をしてきましたが、結果として皆様もご存知のとおり今日のような日がついに来ることとなってしまいました。
これまでこの「世界の終わり問題」は極秘時効で、国のトップにも知らされていないことでした。その理由といたしまして①治安の悪化が予想されたため ②解決できる可能性が0ではなかったため という二点を勝手ながら上げさせていただきます。』
ちなみにこの後に「研究所所長の挨拶」「何故世界が終わるのか」「所長に聞いてみた! 世界の終わりQ&A!」などがずらずらと書き並べられているが、文章を読むのは苦手であったから、すぐに「戻る」を押してもとの検索画面に戻った。
かといってやはりヒマなのでブログをあさっていると、どこのページでも「世界の終わり」の記事を書いている。まったく最後の日だというのに何ブログなんか書いてるんだよと思ったが、彼らも僕と同じように何もすることが無いのだろうと解釈をした。
何をしようか。
今日は世界の終わりの日である。
終わりというのはつまり、明日がないということだ。
何もしないというこの状況を打破しようと、考えをめぐりにめぐらせた。映画なんかでよく見る世界の終りまで愛し合う人なんていうのも当然いない。僕のジョニーはいまだに清いのだ。
とりあえず、的な軽い気持で携帯電話をとりだし友達の古林君に電話してみようと試みたが、どうにもつながらなかった。電話は諦め歩いて古林君の家まで出向くことにした。彼の家とはさほど離れていない。
古林君とは小さな頃からの付き合いである。幼稚園の頃に知り合い、それからずっと僕らは親友であった。
玄関をでて鍵をしめずに歩き出した。空を見上げてみる。天気は快晴。とても今日が世界の終わりだとは信じがたい。ふと、青々とした空の片隅できらりと一瞬何かが光ったような気がした。でもその後に何もなかったから、そのまま気にしないことにした。
5分も歩かないうちについに古林君の家に着いた。僕がインターホンを「ぽちっとな」の効果音とともに押すと、家の中がどたどたと音を立てた。面白くなって連打しているうちに、古林君が玄関に出てきた。
「ふぁんふぁよ」
彼は電動歯ブラシを咥えていた。
「終わりの日だからさ。俺、お前と最後を過ごしたい」
古林君は右手に持っていたコップの水とぐいと口に入れ、うがいをするとそのまま汚物を庭にはき捨てた。
「どうせ暇だったんだろ」
「わかるか」
「まぁ入れよ」
古林君が僕を家に招きいれた。
古林君の家というのも随分久しぶりのことである。
高校の部活が離れ離れになってしまった今となっては、二人で家で遊ぶという機会もなくなっていた。
玄関をまたぐと懐かしいにおいがした。
玄関すぐそこの廊下の天井には、ガンダムシリーズのプラモデルがいくつもつるされている。何も変わっていない。僕の記憶に眠っていた古林君の家の情景が鮮明に甦ってきた。
「で、何すんの? 最後の日」
「さぁ」
テレビをつけると、超人気ドラマの再放送がやっていた。パソコンをつけてみると、彼の趣味な萌え萌え二次元少女のイラストが堂々とトップを飾っていた。
……家にいるのと、大して変わらないじゃないか。
ブログを開いてみると、相変わらず最新の更新一覧は全てタイトルが「世界の終わり」である。だが、僕たちはそんな無駄な一日を送ってはいけない。僕はそう固く決心した。
「一緒に過ごす女もいないしなぁ」
古林君がふとつぶやいた。
「な」
とりあえず相槌を打っておく。すると古林君がたいそう驚いた顔をしてこっちを向いていた。
「お前、彼女いたじゃん」
「彼女?」
思いもかけない言葉に、僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「あれ、彼女候補だっけか。二人はデキてるなんて聞いたけどなぁ、デマだったのか」
「そこまでいかなかったよ」
「あー。俺は世界の終わるまで、脱童貞はできなかったなぁ!」
古林君が両腕を大きく伸ばしてそのまま床に倒れこんだ。
「僕でよければ……」
「え?」
「いや、冗談」
たとえ本心でなくとも、言葉に出してしまうとそれっぽく聞こえてしまったり、逆に本心であっても言葉に出さなくては伝わらないということが多々ある。人間のコミュニケーションの難しいところはそこにあるんだろうな。若干BL風味なシチュエーションで、そんなつまらないことを考えてしまう。
古林君はじっと天井を眺めている。
僕もすることがなかったので、ニコニコ動画なんていう動画共有サイトでくだらないMADやら、下手な人の歌う伝説的アニメソングを聞いたりしていた。
僕たちは無駄な一日を送ってはいけない。そんな決心も少しずつと薄れていった。というか、突破口が見出せなかった。
動画にも飽きてきて時計を見てみると、もうお昼を少し過ぎている。
「昼」
「なんもないぞ」
「買いに行くか。コンビニ近くにあるし」
僕はすっくと立ち上がって、古林君の財布をポケットに入れると一人近くのコンビニエンスストアーに出向くことにした。外に出て新鮮な空気を思いっきり吸い込むと、思いっきり過ぎて肺が痛くなってしまった。
コンビニに店員はいなかった。レジのところには「商品はご自由にお持ち帰りください」という紙がはっていて、店内を見回すと商品も結構少なくなっていた。
僕は日本人の英知カップ麺を手に取った。あと最後の日ということで一度試してみたかったとろけるチーズinカップ麺を試すために、とろけるチーズももらっておく。それでも何か、世界の終わりだからするとか、このことが結局の脱無駄な一日に直結するとは思わなかったのだが。
帰って古林君とともにとろけるチーズinカップ麺も食べ終えてしまうと、やはり何もすることがなくなってしまった。古林君はぐあーといって立ち上がって、近くにあったペンギン形目覚まし時計を薄型液晶テレビに投げつけた。がきゃんと奇妙な音を立てて、時計とテレビは同時に壊れた。
「何してんだよ。いいとこだったのに」
「バカヤロウ!」
寝そべる僕の横で、古林君はわなわなと震えていた。古林君の顔が、憤怒で真っ赤に染まっている。
「お前はこんなのでいいのかよ。いきなり世界の終わりだとか言われて、結局何もしないでこうしてぐだぐだして一日を終えるの? 俺はそんなの嫌だぞ。世界が世界を壊す前に、俺は世界を壊してやる!」
おい、と呼び止めるまもなく古林君は一人外に飛び出していった。古林君が最初に壊した世界に一人取り残され、僕も世界を壊そうかなんていうビッグなことを考えたりしたが、どうにもやる気が起きなかった。
数分後。がちゃと弱弱しく玄関が開く。
「早いね」
僕はそう問いかけてみたけれど、彼は答えなかった。聞こえるのは涙をすする音だけ。
「なんだよ。世界を壊すんじゃなかったのかよ」
「くぅぅぅ」
声にならない悲鳴のようなよくわからない泣き声を出すと
「俺、世界の壊し方、知らなかった」
とだけつぶやいた。僕ははぁとため息をついた。
何をするでもない。
世界が終わるというのに、僕たちは世界の終わりを感じることが出来ずにいた。恐れも焦りも、これといって生まれず、ただ刻々と時間のみが過ぎていく。
人間は、時間軸の移動は出来ない。
だから人間は今を必死になって生きようとしているし、後悔をしつつも明日に向かって希望を見出すことが出来る。それでも、その時間軸に行き止まりがあったとしたら。ただただ流れに任せて流れるだけの僕たちは、何が出来るのか。生きる意味をも見出せない。
だけど、生きる意味を持って生きている全うな人間が、一体この世に何人いることだろう。終わってしまって正解かもしれない、と僕は思ってみたり。
古林君はカップラーメンのカップが二つ乗った机に突っ伏していた。古林君の顔を中心に半径五センチメートルくらいの水溜りを作っていたが、古林君からはもはや涙をすする音は聞こえない。
「これから、どうするべきかな」
古林君が突っ伏したままの状態で僕に問いかけた。
「どうするも何も」
何もすることないしな。
家にいてもぐうたらするだけだ。僕たち二人は外出することにした。
「アキバでもいく?」
僕は提案してみた。
「なんでこんな時に」
「こんな時だからこそだよ。それに、僕たちオタクなんていわれてたけれど、結局あの地にはたどり着けなかったしな」
「うーん」
古林君は考え込んだ。右手をまるで探偵ドラマに出てくる探偵のようにこつこつおでこに当てながら、ない頭でよーく考えた。そしてあっとつぶやいた。
「どうした?」
「世界の終わりだぜ。電車動いてるのかよ」
「あ、そっか」
単純。
ネタも尽きてしまった。
ない脳と称した古林君に僕の欠点を見出されてしまい、無性に自分が恥ずかしくなった。
古林君はたまに道路に小石が落ちていると、ていなんて効果音付きで蹴ったりする。会話は殆どなかった。こうして世界は終わるのだなぁと、感慨深く思ってみる。
考えなしに歩いていると、ちゃらちゃらと古林君の着メロのアニメソングが鳴った。古林君は片手でかっこよくちゃきと携帯を開くと、ふんふんといいながら画面を見つめた。
「学校へ行こう」
突然言い放った。僕は快諾するほか、術はなかった。抗う気力もなかった。
最後の日といえど、結構学生はいるものだった。
部活動に青春を謳歌した者は、世界が終わるまで頑張った部活仲間と、楽しくわいわいやっているのだろう。校庭のほうで野球部があーとみんなで大声を出していた。その後それが校歌であると気づいた。
女子達はあいかわらずきゃいきゃいと友達同士でうるさく騒いでいるし、隅のほうで男と女が人目も気にせずいちゃついている。いつもなら僕は怒って地団駄を踏んでほえるところだけれど、今日は最後の日だからと寛大な僕は許してあげた。ちなみに僕の昔の夢はジダンであった。そんなコマーシャルが昔あったなぁ。
土足のまま校舎に入り込み、階段を上る。教室に入ると、女子二人組みが話をしていたが、僕たちが入ったことに気づくと、黙りこくった。片方が顔を赤らめている。その片方とは、僕が密かに恋心を抱いていた、山田さんである。
「あ、古林じゃん。ちょっと来て」
もう片方の方は僕の隣にいた古林君の腕を取って教室から出て行った。古林君はニヤニヤした顔の残像が、僕の瞳に焼きついた!
4-2=? 思考は停止する。
「二人っきりに、なっちゃった、ね」
山田さんがうつむき加減でつぶやいた。
「さささささ、さふだねぇ」
僕は必死に答えた。冷や汗がにじみ出る。こぶしをぎゅっと握った。
つまらない、ありきたりな、あれが伏線というやつなのか。たかだか二十行ほど前のアニメソングが、古林君と例のもう片方の女の子とのたくらみのメッセージであったというのも、なかなかに気持がよくない。
だが、山田さんといられることを願っても見なかったわけではない。最後の一日くらい、願望が叶うならなんて思ったものだった。
時間は三時。僕はこの時間におやつを食べたことがない。
山田さんは最初の頃よりももっとうつむいていてもはや顔を眺めることは出来ないし、校庭から野球部の声がするくらいでかなり静かだった。一度とてこんな静かな教室というのも体験したことはなかったような気がする。
僕は教壇に登り、白くて長いチョークを一つとって、「終わり」と書き込んだ。
「終わり?」
振り返ると山田さんが、小さな疑問符をつけて呟いた。僕は頷く。
「始まるということはつまり、終わりへと向かうと言うことなんだ。何事も始まってしまえば、いつかは終わってしまう。それが早いか遅いかというだけで、本質的には何も変わらないんだって、昨日学者が話してた。でも、本当にそうなんだろうか」
うーんと山田さんが首をひねり唸った。
「僕はやりたいことがまだまだあった。将来は車の設計をしてみたいな、なんて時代遅れなものに夢を抱いていたし、まだ完結してない映画シリーズの続きも見たかったし、読みたくても読む時間の取れなかった小説がまだ沢山あるし。すごいいいこぶってるみたいだけれど、これまで面倒見てくれた人たちや仲間に恩も返していないし、胸に秘めていた僕の想いも伝えられなかったし。もう、こんなことって、あんまりじゃないだろうか」
黒板の「終わり」の文字に、チョークを使って二本線を殴り書きした。
「終わっちゃうよ」
僕は呟いた。こうして言ってみると、ただ漠然とした恐れとかそういうものが急にこみ上げてきて、まだ世界は終わらないで欲しいという思いが胸をしめつけて、急に苦しくなって。僕は気づくと涙を流していた。足に力が入らなくて、しゃがみこんでしまった。
山田さんがかつかつと静かに近づいてくる。僕の前にくると、しゃがみこんだ僕の頭に手をぽんと載せた。
「まだ出きることがあるんじゃない。試してみなよ。それがたとえ全部やり終わらなくても、精一杯に生きてきたって言う、残された時間を有意義に使える唯一の方法だと思うよ」
そうか。
簡単なことに、どうしてこうも気がつかなかったのだろうか。世界が終わるなんていう大きくてぼやけてすらいない、目にすることも感じることもできないものに気をとられて、こんなにも近くにあった大切なことに気がつかなかったなんて。
「ありがとう、山田さん」
「うん」
「あと、好きだった。いや、今も好き。いや、これからも、いや、明日からも」
「うん」
山田さんもしゃがみこんだ。僕と山田さんの顔が、同じ高さにそろう。僕がまじまじと山田さんを見つめると、山田さんはにこりと笑った。
「もっと前に言ってくれればよかったのにね」
僕と山田さんは、こつりとおでこをくっつけた。
僕と山田さんは手をつないで教室を出た。すぐそこで古林君ともう片方の女の子が顔を真っ赤にそめて壁に寄りかかっていた。
「いやぁ、男女の会話なんて、盗み聞きするもんじゃねぇや」
古林君がぽりぽり頭を掻きながら、無理して明るく振舞って言った。
それから僕ら四人は学校を歩き回って、思い出話をした。文化祭だったり、体育祭だったり、合唱コンクールだったり、修学旅行だったりエトセトラエトセトラ。古林君と話をしていたときはすぐネタに尽きたものだったが、もう片方の女の子が頑張って話題提供してくれたお陰でなかなかネタは終わらなかった。
古林君ともう片方の女の子はたびたび僕と山田さん二人にするべきじゃないかと提案したが、僕らはそれを却下した。
辺りが夕焼けにそまり、一日の終わりが少しずつ感じられたころ。僕らは各々の家に帰ることした。相変わらず古林くんともう片方の女の子は僕と山田さんが一緒に最後を過ごさなくていいのかと心配をする。
「今日はメールくれてありがとう」
僕はもう片方の女の子に感謝の意を述べた。もう片方の女の子は照れ臭そうにはにかんだ。
「あぁ、やっぱりばれていましたか」
わざとらしい丁寧口調。彼女の癖でもあった。
「古林君も、今日はありがとう」
「なんだよ今さら」
古林君も怒り口調で照れ隠ししている。
「あぁ、いい一日だったよ」
僕らはそこで別れた。
がちゃと玄関を開けると妹のサキが泣きながら上がり端に座っていて。入ってきた僕に気付くといきなり立ち上がって右手ですごい勢いでビンタを食らわした。
べちんと気持ち悪い音が響いた。
「今までなにしてたのよ」
「ごめん。心配してくれたんだ」
するとサキは目を大きく開いて
「するわけないでしょ」
と叫びながらもう一度ビンタをして、家の二階にドンドンと激しい足音とともに消えていった。台所の方からは母親の使う包丁がまな板に当たる心地よい音が聞こえた。
僕も靴をそろえて、家の中へ入っていく。リビングにはテレビがついていた。特別番組と称して「世界の終わりカウントダウン」だとかいうのをやっている。人気女性キャスターのもこにゃんがにこやかに「さぁー、いよいよ世界の終わりまであと五時間を切りました!」と叫んでいる。
父親はそんな横で朝と同じように新聞を読んでいた。
「上司は殴れた?」
父親は新聞から目を離さないでおーとうなった。
「殴ろうと思ったんだが。うん。不思議なことにな。うん。俺が右手をグーにして近づいていったら上司のヤツいきなり泣いて土下座して俺に言うんだよ。いままですまなかった、殴ってくれって。散々いやな目にあわせておいて、最後だからってそんな態度を取るのも頭にきたんだが、なんでか怒りとか怨みとか、そんなのがすーっと消えていってしまったんだよな。うん。」
「そっか」
「お前はどうだった。最後の日は」
「うん」
僕は今日あったことを思い出した。きっと、いや絶対にいい一日が過ごすことができたと思うことが出来た。
「よかったよ。最後にならないと気づけないことにも、ようやく気づくことが出来た」
「なんだそれは?」
父親が初めて目を僕に向けて問いかけた。
「夕飯、できたよ」
母親が叫んだ。二階から降りる階段が再びドンドンと鳴った。サキは僕の顔をみると顔を赤らめてそっぽを向いた。僕は苦笑した。
夕食を囲んで、夕食の用意が済んだ。あとはいただきますの挨拶を言って、食べるだけ。
「最後の晩餐ってか」
僕は極上のギャグを放った。だけれど誰も笑わなかった。サキがつまんないつまんないと僕の足をガンガン蹴りこんだ。
「終わっちゃうんだね」
母親のその一言で、しーんと静まり返った。テレビのもこにゃんの声だけが、空しく部屋に響く。父親はいただきますを言わないで食べ始めた。それに習ってみんなも食べ始める。世界の終わりの前に、家族の方が先に終わっているようだった。
「あのさぁ」
僕が口を開いた。静寂を破った。
「ありがとう」
立ち上がって、頭をぐいと下げた。
「今まで、本当に、ありがとう」
感謝の意をこめて。
夕食を食べた後、久しぶりにトランプをやることになった。母親は見事に大富豪のルールを忘れていたから、一から教えてあげなくてはならなかった。
何年ぶりだろうか。家族でトランプをするなんていうことは。そのころは父親が一人がちというパターンが常だったが、今日に限ってサキが無性に強かった。父親が泣いた。
「お前たち、いつの間にかこんなに大きくなっていたんだなぁ。まだ、俺の中には小さな子供だったのになぁ」
「時刻は十一時四十五分! 終りまであと十五分でーす」
もこにゃんの可愛らしい声が聞こえた。
「さて、そろそろお前たちは寝なさい」
父親が僕らに命令する。
「寝なさい」
「わかったよ」
立ち上がって、階段を上ろうとした。ふと振り返って父親の方を見てみると、ソファで母親と仲よさそうに二人で座っている背中が見えた。母親の頭が、父親の肩で支えられていた。僕は静かに二階へと向かった。
ベッドに倒れこみ、うつぶせになった。顔を枕にうずめる。汗臭い嫌なにおいがした。寝よう。世界は終わりだ。終わってしまった。
でも、不思議と後悔は無かった。
それでも、明日があればと願ってしまうものだった。
終わり (作成日2009年6月6日)